みなさん、こんにちは!
我ながらすごいタイトルですね…
さて、巷で話題になっているアドラー心理学
「嫌われる勇気」で世間から注目を集め始め
その斬新さや問題解決に特化した思考スタイルから
一気に人気を博すようになりました。
その理論は一見するとパーフェクトで非の打ち所が
ないようにも見えますが、本当にそうなのでしょうか?
物事には100%完璧ということはなく、
だからこそ色々なものが互いに補い合いながら
存在しているのではないでしょうか?
それはアドラー心理学だって例外ではないと思います。
では、実際にどこに問題点があるのか考えてみます!
1. 目的論とは??
導入では目的論の問題点を考えるといいましたが、
その前にそもそも「目的論」とは何かを
説明しようと思います!
これは原因論との対比と例を交えて考えると分かりやすいです!
例として、今ここに
過去いじめられた経験を持つ男性がいたとしましょう。
「あなたは小学校の頃いじめられていたんですね..」
「だから、人とうまく関われないのだと思います」
これが「原因論」です!
物事の理由というのは
原因と結果の関係によって説明できるものである
という信念体系を指しています。
一方、「目的論」とはいじめられた人に対して
「あなたは人と関わりたくないのですね…」
「だから、あなたはそれを合理化するために
過去の経験を持ち出している」
つまり、物事は人間の意志によって自由に変えていくことができて
過去に何が起こったのかは
これからの未来には全く関係ないという考え方です。
びっくりしますよね??
だって、要は人とうまく関われない人は
自業自得だと言っているようなものなのですから…
でも、確かに的を射ているような気もします。
実際に過去のトラウマを乗り越えて、
イキイキと生活している人だって現実にいるわけですから!
だだ、私はこの考え方に少なからず疑問を感じずにはいられません。
それを2章で見ていきましょう!!
2. 目的論の問題点
1章では目的論の考え方の概要を紹介しました。
耳が痛くなりそうなことがずばずば指摘されていましたが、
だからこそ本質をついて射るんだろうなと思います!
でも、私はこの「目的論」も唯一問題点があると思います。
結論から言うと、それは
「目的論は人間の意志によって何でも自分の思い通りに変えていける」
と指摘するが、その変えていける物事の程度には
現実として限度があり、
目的論にはその考え方が欠けているということだと思います!
出典:24.media.tumblr.com
どういうことか例を使って説明しましょう!
最近引退しましたが、輝かしい実績を残したウサイン・ボルト!
彼と私が100m走で競争するというシーンを想像してみます!
どうでしょう?
勝てそうですかね?
前段階で、私の情報を提供しますが、
私は唯の一介の日本人です!
別に陸上をやってたわけでもないですし、
才能があるとも思いません。
なぜなら、ボルトと私では生まれ持った筋力、
骨格など遺伝的な要素が違いすぎると分かるからです。
これを”才能”と呼ぶと思っているのですが
日本人とジャマイカ人では
陸上で活躍するための”才能”の量がそもそも違います。
現実的に考えて、遺伝子を変えることは不可能です!
最近はエピジェネティクスといって後天的な環境によって
遺伝子の発現が変わるという分野の研究がありますが、
これは、要するに努力が”才能”の発現に関わるという
極めて現実的な事実を突きつけているだけで、
別に”才能”そのものの量が変わることは意味していません。
だから、私に必要なのはボルトに勝とうとすることではなく、
別の道を探すことだと思うのです!
その道を探して、見つけて、
そこを突き進んでこその人生だと思います!
3. じゃあ結局どうしたら??
2章ではアドラーの「目的論」について問題点を指摘しました。
では、結局どう考えることが最善なのでしょうか?
私はこう考えます!
それは「目的論」と「原因論」の両面から物事を考えることです!
私はボルトには勝てません。
なぜなら、遺伝子がちがうから。
これは「原因論」的ですね!
でも、私の場合だったら、
文章を書いて表現することが割りと得意だと自負しているので、
この長所を活かして、いきいきと生活していけるかもしれません。
今は見つからなかったとしても、
必ずそういった”自分のよさ”を見つけ出して
やるぞ! という意志の強さは「目的論」的です!
「目的論」的な視点しかなければ、
ボルトに勝てるはずもないのに
“努力すればいつかは勝てる”という
非現実的で空理空論的な発想になりかねません!
出典:スラムダンク
こうして、この2つの両方から考えることで、
バランスが取れて、自分の方向性のようなものが見えて、
自分らしく生きていけると思います!
まとめ
(1)目的論とは物事は人間の意志によって自由に変えていくことができて
過去に何が起こったのかはこれからの未来には全く関係ないという考え方
(2) 人間の意志によって変えていける物事には限度がある
(3) 自分らしく生きていくためには、
「原因論」と「目的論」の両面から物事を考える