心理学の三大巨頭であるフロイト、ユングアドラーの3人。
このうち、私が考えてみたのは
アドラーとフロイトについてです。
この2人はかつては一緒に仕事をしていた時期もあったのですが、
主義主張の違いから袂を分かってしまったのです…
そんな2人が信念を貫いて作り上げた理論を見てみましょう!
1. アドラーとフロイトの主張の違い
まず、フロイトの主張から見ていきましょう!
フロイトの基本的な考えは”原因論”です。
目的論とはつまり、人間が何か問題を抱えているとき
心の中にはトラウマを抱えている。
結果があれば、そこに必ず原因があると考えます。
一方、アドラーの主張はというと、
対照的に”目的論”という考え方を採用しています。
これは何かというと、人間は何か問題を抱えていたとしても
それはその人の捉え方の問題であって、
トラウマなど存在しないという考え方です。
何となく精神論っぽい響きですね!
まあ、要約すると、フロイトは割と冷静な分析派で、
アドラーは気合で乗り切る情熱家って感じですかね。
2. どっちが正しいのか?
さて、気になるのは
この2人の正しいのはどっちなんだ!ということですね。
![f:id:falchion9:20171001142229p:plain f:id:falchion9:20171001142229p:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/f/falchion9/20171001/20171001142229.png)
結論から言うと、
私はどちらも半分正しくて半分間違っていると思います。
どういうことかというと、
まず、フロイトの主張を考えた場合、
例えば、”引きこもっている人”を考えましょう!
フロイトはその人が引きこもっている原因を分析して
それがいじめられたことにあると分かりました。
これで一見問題は解決されると思われがちですが、
よくよく考えると、
いじめられたことが原因と分かったところで、
それは過去の話なのでもう変えようがありません。
![f:id:falchion9:20171001142939j:plain f:id:falchion9:20171001142939j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/f/falchion9/20171001/20171001142939.jpg)
ですので、アドラー的な発想が必要になってきて、
じゃあ、もういじめられたのは済んだ話なので、
これからどうするか考えようぜって話になってきます。
一方、アドラーの場合、
”引きこもっている人”に対しても、
気合で乗り切ろうぜっていう感じの発想でもって対処します。
たしかに、今まで何があったにせよ、
自分がこれからどうするのかということも大切です。
しかし、引きこもるきっかけというのは何かあるはずで、
それがいじめられたからなのか、親に否定されたからなのか
何なのかということをはっきりさせないと、
自分の意思で未来を変えられるといわれても、
心の中の何となくのもやもやというのは消えないし、
だからこそなぜか分からないけど動けない
という事態になるんじゃないでしょうか?
原因が分かりさえすれば、
その事実は過去のことなので変えられないけど、
解釈は変えられます。
3. 2人の考えをどう活かせるか?
結局2章で私が言いたかったのは、
2人の考えを両方取り入れられればいいのではないかということ。
つまり、何か問題が発生したら、その原因を考えて
それについて解釈を変えていけばいいと思うのです。
それに加えて、原因そのものに対して自分が変えていきたいと思えば
変えていけばいいのではないでしょうか?
でも、いじめられたとか
そういったときにありがちなのって
多分変わっているとか弱虫だとか
そういう場合が結構多いと思うんですよね。
![f:id:falchion9:20171001143153j:plain f:id:falchion9:20171001143153j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/f/falchion9/20171001/20171001143153.jpg)
出典:http://dragons-official.at.webry.info/200608/article_23.html
でも、それ自体で人に迷惑をかけることってそんなにないと思うので、
別にそういう性質があったからといって
何も問題はないと思いますけどね…
まとめ
今回のまとめですね
以下にまとめてみます!
(1) フロイトの主張は”原因論”
アドラーの主張は”目的論”
(2) フロイトとアドラーの主張は両方とも
半分正しくて半分間違い
(3) 何か問題が発生したら原因を考えつつも
それについての解釈を変えるだけにして固執しない
ただし、改善可能なものなら変えていく