心理学の三大巨頭であるフロイト、ユングアドラーの3人。
このうち、私が考えてみたのは
アドラーとフロイトについてです。
この2人はかつては一緒に仕事をしていた時期もあったのですが、
主義主張の違いから袂を分かってしまったのです…
そんな2人が信念を貫いて作り上げた理論を見てみましょう!
1. アドラーとフロイトの主張の違い
まず、フロイトの主張から見ていきましょう!
フロイトの基本的な考えは”原因論”です。
目的論とはつまり、人間が何か問題を抱えているとき
心の中にはトラウマを抱えている。
結果があれば、そこに必ず原因があると考えます。
一方、アドラーの主張はというと、
対照的に”目的論”という考え方を採用しています。
これは何かというと、人間は何か問題を抱えていたとしても
それはその人の捉え方の問題であって、
トラウマなど存在しないという考え方です。
何となく精神論っぽい響きですね!
まあ、要約すると、フロイトは割と冷静な分析派で、
アドラーは気合で乗り切る情熱家って感じですかね。
2. どっちが正しいのか?
さて、気になるのは
この2人の正しいのはどっちなんだ!ということですね。
結論から言うと、
私はどちらも半分正しくて半分間違っていると思います。
どういうことかというと、
まず、フロイトの主張を考えた場合、
例えば、”引きこもっている人”を考えましょう!
フロイトはその人が引きこもっている原因を分析して
それがいじめられたことにあると分かりました。
これで一見問題は解決されると思われがちですが、
よくよく考えると、
いじめられたことが原因と分かったところで、
それは過去の話なのでもう変えようがありません。
ですので、アドラー的な発想が必要になってきて、
じゃあ、もういじめられたのは済んだ話なので、
これからどうするか考えようぜって話になってきます。
一方、アドラーの場合、
”引きこもっている人”に対しても、
気合で乗り切ろうぜっていう感じの発想でもって対処します。
たしかに、今まで何があったにせよ、
自分がこれからどうするのかということも大切です。
しかし、引きこもるきっかけというのは何かあるはずで、
それがいじめられたからなのか、親に否定されたからなのか
何なのかということをはっきりさせないと、
自分の意思で未来を変えられるといわれても、
心の中の何となくのもやもやというのは消えないし、
だからこそなぜか分からないけど動けない
という事態になるんじゃないでしょうか?
原因が分かりさえすれば、
その事実は過去のことなので変えられないけど、
解釈は変えられます。
3. 2人の考えをどう活かせるか?
結局2章で私が言いたかったのは、
2人の考えを両方取り入れられればいいのではないかということ。
つまり、何か問題が発生したら、その原因を考えて
それについて解釈を変えていけばいいと思うのです。
それに加えて、原因そのものに対して自分が変えていきたいと思えば
変えていけばいいのではないでしょうか?
でも、いじめられたとか
そういったときにありがちなのって
多分変わっているとか弱虫だとか
そういう場合が結構多いと思うんですよね。
出典:http://dragons-official.at.webry.info/200608/article_23.html
でも、それ自体で人に迷惑をかけることってそんなにないと思うので、
別にそういう性質があったからといって
何も問題はないと思いますけどね…
まとめ
今回のまとめですね
以下にまとめてみます!
(1) フロイトの主張は”原因論”
アドラーの主張は”目的論”
(2) フロイトとアドラーの主張は両方とも
半分正しくて半分間違い
(3) 何か問題が発生したら原因を考えつつも
それについての解釈を変えるだけにして固執しない
ただし、改善可能なものなら変えていく